第5話 少年時代(七)

2012.09.24, 月曜の朝

~2012.9.24(月)~

 私はしばしば放課後を待って街に出ると“米兵退治”の同志を探し求めた。
 小学校二年の春、ビー玉遊びで隣の町内まで足を延ばした時にはじめてさぶちゃんと出逢った。ゲームに入りたくて“場”を覗くと見知らぬ上級生が一人勝ちしている、学生帽の校章を見ると同じ“雪の結晶”で先輩だと直ぐに判った。早速仲間に入れてもらったが途中で私の負けが込み出した。すると、その先輩が傍に寄って来て「これ使ってもう一度やってみろ!」と耳打ちし、ポケットから右手一杯に握ったビー玉を取り出し「オレ、さぶってんだ!」とひと言付け加えるとそのまま黙った。彼の助けを借りたお陰で負けたビー玉は取り戻すことが出来た。これ以来、ビー玉を誘われるようになり二人で組んで遠征するうちに次第に親分と子分の関係へと深まった。その時、二人で集めたビー玉が今も我が家の物置小屋に残っている。
 さぶちゃんは小学五年生、ビー玉の名手だが周囲から“犬殺し”と呼ばれ妙に恐れられていることを知った。しかし、本人は自ら“正義の味方”と称し上級生の間では“番長”に並ぶナンバー2、“米兵退治”の計画を持ちかけると“オレは弱い者の味方だ!”と直ぐに引き受けてくれた。その代わり日曜日の朝から母には内緒で仕事を手伝う約束を課せられ、それは竹竿の先に針金の輪を細工した手製の道具(“虫採り”と呼ぶ)を持ち歩き、一日中野良犬を追い掛け廻す今で言うところの“野犬狩り”であった。
 二人で方々街中をうろつくうちに首輪のない野犬を見付ける。すると、さぶちゃんはまるで人が変わったように猛然と竹竿を振り廻しながら凶暴化した相手を巧妙に路地裏へと追い詰める。牙を剥く敵と睨み合いを続けるうちに隙を見て目にも留まらぬ早業で“虫採り”を操ると一気に野犬の首を押さえ込む。一方、私は野犬を追い掛ける彼の行く手を見ながら回り道して路地裏で待ち構え、キャンと泣く合図を待って素早く布袋を広げ暴れる獲物を手際よく仕留めた、これが二人の役割分担であった。この仕事は仲間と言えども極秘で私が手伝うまではさぶちゃんが一人で頑張っていた。
 ところが、一年半ほど過ぎて秋を迎えた頃に彼が両親と一緒に遠い故郷へ帰ることになり私は千歳駅まで見送りに出た。「米兵退治が始まったばかりで残念だ」とベソを掻くと、色々と私を励ましてくれた後「オレが作ったお守りだ!」と無造作にポケットから取り出したプレゼントが忘れ得ぬ思い出となった。小さな包みの中には厳めしい犬の牙が2本、キリで空けた細い穴に赤い紐を通して繋げ、よく見ると米兵が飼っている軍用犬の牙だと直ぐに判った。「米兵退治、約束を果たせずにごめん!」と珍しくしょんぼりと頭を下げた。
 私たちの秘密の仕事場(獲物の引き渡し場所)は米軍基地の横を抜けた原野の中に潜む不思議な建物だった。基地を隔てる金網の向こうに爽やかな樽前山の風景が広がり、そこを通る度に見取れて立ち止まったが、何よりも私たちの目を奪ったものは訓練するシェパードの凛々しい姿であった。猛スピードで走る逞しいその黒い影は、将に米兵の大切な武器であることを証明していた。“カバ!あの大物はいつか獲物にしてやるぞ”と、思わず囁いたさぶちゃん!その言葉をいつまでも忘れなかった。
 こともあろうに、その“約束の牙”を別れる間際に渡されたのだから私はびっくり仰天、誰の助けも借りず内緒で危険を冒してまで約束を果たしてくれたと思うと胸が詰まって言葉を失い、大切な同志を失う悲しみに泣くことさえも出来なかった。汽笛を合図に汽車が動き出すと急いで乗り込んださぶちゃんが窓から顔を出し唇を“への字”に曲げて手を振った。私も負けじと赤糸で結ばれた猛犬の牙を高く掲げ「手紙下さい!」と幾度も叫んだが彼は軽く頷いただけ、汽車は小さくなりやがて消えてしまった。それでも私はホームに一人残り千切れるほど手を振り続けた。
 もうひとつ、さぶちゃんが私のために残してくれたものがある。それは本人が“ゴム鉄砲”と名付けた飛び道具で米兵を狙いカンシャク玉を放つ過激な助っ人の主役である。武器を手に入れるためにお金を集めようと二人で相談し私は小遣いを目立たぬように貯め、彼は拾い集めた鉄クズや空きビンを雑品屋のトメさんにお願いしてお金に替えた。
 ・・話が少し横に逸れるが、トメさんはさぶちゃんが信頼する唯一の理解者で腰が少し曲がった老人だが驚くほど逞しい剛力の持ち主でもあった。昼夜を問わず古新聞紙や鉄クズ、空きビンを満載したリヤカーを引き、街中で出逢うとアリが自分の身体よりも数倍大きな荷物を背負って夜逃げしているみたいで、その様子がユーモアを通り越して哀れで滑稽にさえ思えた。だが、首に巻き付いたよれよれの日本手ぬぐいやびしょびしょに流れる額の汗を見ると、とても笑う気など起こるはずもなかった。トメさんは街中で私の姿を見掛けると直ぐに声を掛けてくれ、前歯の抜けたニコニコ顔でわざとドジな米兵の話題を振り捲くのであった。さぶちゃんはそのトメさんの笑顔を「百万ドルの微笑」と名付けた。この頃、アイゼンハワー大統領がニュース映画に登場すると決まって彼の“笑顔”がスクリーン一杯に映し出され、アナウサーが「アイクの百万ドルの笑顔」と声高々に報じていた。時世に敏感なさぶちゃんはそのアナウサーの口調を真似ていたのである。
 トメさんの傍にはいつも黒毛の樺太犬(名を“タケル”と言った)が付き沿っていた。タケルにはリヤカーを一緒に引かせるため米軍が落下傘に使うナイロン製の綱を首輪とリヤカーに括り付けていた。そして、いつも山積みの荷物の隙間に赤いチャンチャンコを着せ名を“ハナ”と言う赤子を乗せていた。トメさんの一人娘が産んだ女の子で複雑な事情から母親代わりになって孫を育てていると、何時かさぶちゃんから聞いたことがある。さぶちゃんは自分の仕事の合間にトメさんの雑品集めも手伝っていたらしく、時々ご褒美にもらうコッペパンや駄菓子を私に分けてくれたこともあった。
 さぶちゃんが千歳を去った後も私はトメさんと会っていた。しばらくして、ハナちゃんは知らない人に引き取られ千歳を離れて行くことになった。その夜、トメさんに「淋しくなるね」と言葉を掛けると「ハナは貰われる運命、その方が幸せだ!」と怒りを殺した震える声で私を睨み付けた。ますます深刻になり「お母さんは?」と尋ねると「娘はグレ出して米兵と一緒にアメリカに消えた」と吐き捨てた言葉に恨みが籠もり、目には涙が一杯溢れていた。私はますます米兵が許せなくなりその夜は眠れなかった。トメさんは直ぐに雑品屋を辞めた。ある日、昼中から酔っているトメさんに出逢うと「千歳は嫌いだ!食えねえから札幌に出て石を彫る職人になる」と苦笑いすると目を細め別れの合図を送ってくれた。さぶちゃんもトメさんも千歳から去って行き、私は再び振り出しに戻った気がしてますます孤独な日々を送らねばならなかった。
 ・・話を戻して、さぶちゃんとの“米兵退治”のことは、その後二人が集めたお金で開店したばかりの玩具屋に通いカンシャク玉と爆竹を買い溜めしては我が家の物置小屋に隠して置いた。一方、さぶちゃんは画用紙一面にクレヨンの太い線で何やら鉄砲らしき絵を書くと、何所からか板の切り端を拾って来た。この荒い設計図を見ながらライフル銃を真似て板を切り抜き、銃身や銃床を紙ヤスリで磨き銃口の先に板ゴムを取り付けると立派な“ゴム鉄砲”が完成した。狙いを定めて板ゴムをぐっと力を込めて手前に引きカンシャク玉を一粒挟んで息を止めて放つ、当たると相手構わず炸裂すると言った具合に凶暴な手口を持つ強い味方が現れた。今思えば手作りの幼稚な仕組みに過ぎないが、相手との距離が10~15メートルぐらいであれば十分命中出来る代物だった。また、爆竹はパチンコを使い地面に叩き付けると凄まじい音を出すため相手の意表を突き攪乱させるには絶好の補助兵器、二人は得意になり“米兵退治”の先鋒となった。放課後、堂々とゴム鉄砲を背中に担ぎパチンコをズボンのポケットに忍ばせては街中をうろつき、手当たり次第に米兵を狙い打ちしては逆襲を喰らって追い掛けられ逃げ廻っていた。その度に千歳川の岸辺で決闘したあの米兵を探した・・・この先、さぶちゃんとの武勇伝?は色々と尽きないことばかりである故に、出来れば別な機会を設けて詳しく紹介したいと思っている。
 唯、ひとつ付け加えるのであれば、彼の遠い故郷とは南か北かは判らないが朝鮮国であった。手紙が来ないので心配の余り先生に尋ねると、朝鮮動乱が漸く収まり母国で待つ家族たちか?あるいは何かの理由で止む得なく帰国したとのことであった。さぶちゃんとは二度と会えないことを改めて知り私は愕然とした。それにも増して、彼自身が切ない事情を胸に秘めて別れて行ったと思うと口惜しくて、戦争が恨めしくてもう一度彼に会いたい気持ちに襲われ、思わず「さぶちゃん!」と叫んだ、このことも懐かしい思い出である。
 こうして心強い同志を見付けたことから、さぶちゃんが在学中に面倒を見ていた3人の“子分”(クラスが違う同級生)が仲間に加わった。もちろん、彼からは“米兵退治”を聞かされた上でのことだったが、共同戦線が進めば進むほど私は益々乱暴になり心がすさむばかりとなった。もしかすると、さぶちゃんみたいな強いリーダになろうと勘違いしていたのかも知れない。確かに彼は外目には横柄で乱暴者だが、“正義”のためならば何所までも筋を通し、弱い者や下級生には勇気を示すと分け隔て無く導き面倒見もよかった。これに比べて私は表面だけを真似たに過ぎず、癪に障れば相手構わず暴言を浴びせ、刃向かう者には気が晴れるまで乱暴をはたらいた。常時“ゴム鉄砲”を背負い、パチンコと爆竹を鞄に忍ばせ街中で米兵を見ると待ち伏せしては物陰からカンシャク玉を放ち、見付かるとこそこそと逃げ惑う典型的な卑怯者。母への反抗心も日増しに強まり、とうとう“あの暴れん坊の仕業か!”と世間から後ろ指を指されるようになってしまった。(つづく)