第5話 少年時代(六)

2012.08.27, 月曜の朝

~2012.8.20(月)~

 まさしく魔物が現れた一瞬、深緑色に包まれた川底が今にも私を呑み込もうと大きな口を開けて待っている。少しばかり泳ぎに憶えがあるからと言って決して敵う相手ではなく、行く手は閉された暗闇の中にあった。本意でないが米兵に“助け”を求めても既に上流に遠ざかっては叫び声も届かない。唯一の手がかりは叔母が教えてくれたカエル泳ぎ、だがこれも自信が無く“頼りになる”とは思えなかった。とは言っても時間がない!この土壇場で助かる道がひとつでも残されていればそれを信じて泳ぎ切る他に手だてはない!と、藁にでも縋る思いで叔母の姿を思い浮かべて必死に祈った。・・怖がらず顔を水面に付け、目を開け顎を引き肩の力を抜いて!そうすれば必ずや身体は浮く!・・忘れずにいた叔母の教えが唯一の助かる道筋、私はカエルになったつもりで習った通り忠実に両手両足を広げ思い切って屈伸運動を繰り返した。
 “溺れると殺されるぞ!”川底に棲む魔物に睨まれた恐怖に取り憑かれて気ばかり焦って直ぐには泳ぎにならなかった。だが、足掻きながらも無我夢中でカエル泳ぎを続けるうちに叔母の教えと同じ様に流れが私の身体を軽く持ち上げたのである。これで救われる!と思ったが、これもつかの間で橋下駄に近づくと水かさが一段と増し、あっという間に今度は大きな渦に呑み込まれた。渦は激しく暴れ回り不気味な魔物がとうとう私を捕まえ川底へ攫って行くかに思えた。掴み処を失いぐんぐんと吸い込まれ手足をばたばたさせると返って身体が重くなり鼻から水が入り息が詰まった。今や、敵は米兵ではなくまぎれもなく荒れ狂う急流、右往左往しながら私は木の葉みたいに流れの中を漂い転げ廻り、死にもの狂いで「オレはカエル、カエルだ!」と自分を納得させるだけで精一杯、顔が水面に出ると素早く息を吐き、沈む寸前には深く吸い込み、かろうじてその場を繋ぎ止めた。この時は頭の中が空っぽになり記憶は今もあいまいのままだが、思い出すと背筋が凍る思いがする。“カエル泳ぎ”だけが命の綱とは、後にも先にも私の人生では経験したことのない“恐怖のどん底”と言ってもよかった。
 しかし、川底の石が目に入った瞬間、横から別の流れがすっと私を飲み込んで救ってくれた。意外なことに川底は激しい渦のたまり場ではなく、別の流れの通り道だったのである。この流れの勢いに乗じて私の身体は偶然にも水面に浮くことが出来た。清流は年中サケを追い掛け廻すこの少年を決して見捨てたりはせず、橋を潜り抜けるあたりから次第に穏やかな淀みへと変わり、身体が風船のようにぽっかりと浮くと周囲の景色も見え呼吸も出来るようになったのである。カエル泳ぎにもスピードが加わってふと前方に目を遣ると中島が見えた。もう大丈夫!必死の祈りが叔母に伝わりカエル泳ぎに救われたと思うと急に自信を取り戻した。苫小牧で暮らす中、叔父が市内の製紙工場に勤務していたので浴場やプール、スケートリンクなどは家族証明書を持参すれば入場料を払わずに利用できた。この時、叔母と一緒にプールで遊び、習ったカエル泳ぎが思わぬところで味方になった。
 無事に中島に辿り着き、叔母は“いのちの恩人だ”と改めて思った。葦の葉に掴まり漸く這い上がった時、叔母が見えないところから手を差し伸べ助けてくれたような気がした。ゆっくりと腹ン這いになり指を喉に入れて思いっ切り水を吐き出すと苦くてぬるぬるした黄色い液体が喉から突いて出た。どうしようもなく熱いものが胸に込み上げ思わず声を出して泣くと、身体の震えが伝わったのか?葦の葉も私につられてカサカサと鳴った。最初の奇襲作戦も同じだったが、葦の葉が生い茂る川べりは敵の目から逃れることが出来て時間を稼ぐには絶好の場所だった。
 泣いてたまるもんか!一息入れて気力を取り戻すことだけを考えた。これより100㍍ほど下り岸から突き出した洗濯場の杭に掴まればしめたもの、そこから難なく川べりに辿り着くことが出来る。米兵の目を盗み川沿いに立ち並ぶ店先の裏側を抜ければその先は橋、ここを潜り抜け元の場所に戻れば直ちに奇襲に出る!・・そう考えると急に闘志が燃え上がった。しかし、私の思惑は見事に外れた。葦の陰からそっと様子を伺うと、驚いたことに米兵が橋の真ん中に立ち両手を大きく振っている。こちらの様子は丸見えであり、私が急流を泳ぎ切り岸辺に辿り着くまでの一部始終をじっと観察していたに違いなかった。あるいは、最悪の事態に備えて?私が溺れそうになった時には橋の上から飛び降りて助けようと見張っていたのかも知れない。
 突然、米兵は背筋をぐいっと伸ばし同時に直立不動になり、きびきびした動作で私に敬礼し深々と頭を下げた。それは如何にも無邪気でユーモアに満ちた仕草に見えたが、無事難関を突破した私に“よくやった”と讃える敵からの激励にも受け取れた。最期まで降参しなかった私への敬意か?敗北を覚悟の上で決闘を挑んだ少年の胸中を察してくれたとも思え何か妙に報いられた気がした。すると、米兵への憎しみが何処かに吹き飛んでしまい、そのままぼんやりと相手を眺めていた。米兵もじっと私を見詰めていた。やがて静かに歩き出し橋の袂まで来ると「サヨナラ!」と片言の日本語で叫びながら大きく手を振ると、まるで“まぼろし”のようにあっけなく交差点の向こうに消え去った。私はそれ以上米兵に付きまとうことはしなかった。近づけば緊張した気持ちがつい緩み思わず甘い言葉が出てしまう、そのことを嫌ったのである。弾丸道路を横切れば交差点から二件目に“ミッキー”という店の名を持つビアホールが待ち受けている、私は幾分淋しい気持ちを押さえながら米兵の後ろ姿に一礼した。
 額に出来た大きな瘤と傷、口の中が数カ所切れて鼻血が止まらない、地面に叩き付けられた拍子にひねった左足、脛のすり傷も相当な深手、とてもこのままでは家に帰れなかった。顔を洗って口をすすぐと左腕の黒いアザがズキズキと痛み出し右足の付け根も腫れている。いつの間にか戦いの傷跡は深く全身を覆いしばらくは動けない状態、私はぼろぼろに痛め付けられ中島に残った。もう一度葦の葉に掴まり清流に身体を浸して“くの字”になり痛みに耐えながら、一方的に痛めつけられ土下座してまでも謝らねばならない・・そんな屈辱的な敗北で終わらずに済んだことがせめてもの救い!と自分を慰めた。何ら悔いることはない・・しばらくの間、この身体を冷やしていればこの清流がすべてを忘れさせてくれ決して私を見捨てたりはしない・・そう祈りつつ手から葦の葉を離して流れに身を任せて浮かびながら下流の洗濯場を目指してカエル泳ぎをはじめた。
 洗濯場の杭に掴まると橋が遠くに見え、つい先程のことが夢のようであった。惨めに違いなかったが、幸ちゃんが無事だと思うと救われた気持ちだった。最後まで戦い抜いた自分にも誇りを感じ、逆境でも“勝負”を譲らなかった根性に我ながら驚いていた。妙な馴れ合いで“和解”しても互いの言い分が晴れるはずも無く、このまま敵同士で終わった方が余程さっぱりした。勝負は未だ付いていないのだから再会した時はもう一度決闘を挑むか?それとも仲直りをするか?いずれでも私は堂々と応じられる・・そう考えると何とも言えぬ爽快な心地に包まれた。
 いつも内緒の母にもこの決闘は打ち明けられると確信、たとえ叱られてもそう簡単に私の正義!は挫けはしない、傷だらけの身体でも怯まずに帰ろう!と覚悟を決めた。妙に居直った気分が私を別な世界へと誘い出すようにも思え、再び橋の上に目を転じ消え去った米兵に「グットバイ」と叫んだ。そして、もう一度会おうと!と心に誓った。傷だらけの顔も鼻血も何のその、平然と店の裏を通り抜け橋を潜って元の場所へと引き返した。すると、無我夢中で脱ぎ捨てた学生服と帽子、鞄が無惨な姿で泥の中に残されていた。急いで帽子を被り学生服を身に着けふと社の森に目を遣ると木立の中に夕日が射し込み赤々と空を染め、まるで神社山が私に檄を放っているようであった。
 米兵と同じく私も橋を渡り交差点を横切って家に向かった。家は歩いて直ぐの距離だから先生や同級生には会わずに済み、玄関に入ると母の靴が見当たらないのでしめた!と思った。台所を覗くと幸ちゃんが無事な姿で夕飯の支度を手伝っているところで、一瞬、眼が合ったがお互い人目を避けて口はきかなかった。彼女は米兵に襲われたショックで複雑な気持ちであったに違いなく、私はその足で素早く部屋に戻って朝を待つことにした。部屋に閉じこもると臆病風は何処吹く風か?妙にふてぶてしい顔が窓ガラスに映って昔の暗い自分を笑っている。着替えているうちに・・泥だらけの学生服は内緒で幸ちゃんに洗濯を頼もう・・上手く母を避ければ瘤やアザ、切り傷は直ぐに癒されて治る・・見付かったら学校で殴られたと嘘を付けばことは簡単・・など、驚くほど大胆な自分が何かに目覚めたかの如く目前に現れた。そして、米兵との戦いはこれで済ませるものか!と再び気持ちが高ぶった。
 翌日の朝、まだ家人が起きないうちに幸ちゃんが心配して私の部屋を尋ねて来て、いきなり「トシさん!本当は強いのね」とニヤリと白い歯を見せた。はじめて褒められた私は天にでも昇るような心地でしばらくは何も言えなかった。一晩で元気を取り戻した幸ちゃんもさすがにしたたかな根性をしていた。“米兵は私たちの敵よ”このひと言で私は今や怖いものなど何もなくなり、同時にそれは復讐劇のはじまりを意味していた。学校では今までと違って同級生や先輩たちへ積極的に話し掛け、何を言われても平気で言い返す気概を堂々と態度と言葉で表した。常に米兵との一騎打ちを夢見て、煙たい先輩たちを何とか仲間に引き込もうと様々な工作を思い巡らす。彼等を味方に付ければ勝負はこちらのもの、仕返しが出来ると考えたのである。(つづく)