第16話 クリスマスの思い出

2014.12.24, 月曜の朝

~2014.12.24(水)~

 ひとつ、クリスマスには思い出がある。それは様々な光を放つツリーの飾りのようなもの、張り巡らされた記憶の枝に留まりいつまでも柔らかな明かりを灯し続ける。
 時々、私はハーモニカを吹きストレスを発散することがあるが、最初に手にしたのは小学四年生の夏であった。塞ぎ込む少年を暖かく包むように励ましてくれた謎の青年との出会いが発端、毎年、クリスマスが近づくと彼との出来事を思い出す。ある日の放課後、川べりで釣りをしているとよれよれの戦闘帽を被った見知らぬ青年が「釣れるかい?」と馴れ馴れしく声を掛けて来た。見上げるほど背が高く、鼻筋が通った彫りの深い顔立ちにはまったく見覚えが無く、太い腕の日焼けした肌が如何にも他の街から流れて来た荒くれ者と言わんばかり、余りにも薄気味悪いので知らぬ振りして釣りを続けた。すると、青年は傍の草むらに座り込みポケットからハーモニカを取り出すと静かに吹きはじめた。曲は「荒城の月」、新学期がはじまり音楽担当のN先生がピアノで弾いた曲だったのでよく憶えていた。
 肩を左右に大きく揺らし青年が奏でる美しい“旋律”は、まるで渓流の魚たちを呼び寄せる魔法の笛のように魅惑に満ちていた。だが、そればかりではなかった。魔笛の音色は水鳥のように川面で羽を広げて向こう岸へと渡るとすう~と葦の陰に消えたのである。余韻はいつまでも残り岸辺の草花が耳を澄まして聞いている様子、少年は釣りを投げ出し我を忘れてその光景に見入った。そして、青年の口元できらきらと光る小さな楽器に心を奪われた。相手はハーモニカの名手、孤独だった少年がはじめて浴びた甘美な心地、この青年と友達になれば自分もあの楽器が吹けるようになれる・・そう思い込んだ。この時からハーモニカとの旅がはじまった。青年との出会いは未来への出発点、ハーモニカは無二の相棒であった。
 その後、青年とは同じ場所で幾度も鉢合わせになり、その度に少年はハーモニカを吹いて欲しいと懇願した。ある日、少年の寂しい胸中を察した彼は「さ~君も吹いてみないか!」と言ってハーモニカを差し出した。少年の目がきらりと輝いた。兼ねてよりこの機会を狙い、放課後は欠かさず同じ場所で青年を待ち伏せしていたからだ。狙いは当たった!胸を弾ませそれを口にくわえた。大きく息を吸い込み思いっきり吐き出すとピイ~と甲高い音が響き、思わず少年は「吹ける!」と叫んだ。以来、青年とは同じ時刻に同じ場所で会う約束を交わし、ハーモニカを教えてもらえることになった。
 数ヶ月が経ち秋祭りが近づく頃には「ふるさと」「赤とんぼ」と、簡単な曲は一人でも吹けるようになった。すると、思いがけなくこの二人を陰で見守る味方が現れたのである。ある日、担任のM先生から職員室に呼ばれ秋の学芸会で独奏してみないか?と奨められた時は晴天の霹靂だった。早速、青年に伝えると大きく頷いたその瞬間から真剣な練習がはじまった。そして、とうとう一番難しい「荒城の月」に取り組んだ。青年が得意とする“曲”だが、急に低い音からはじまる章節が途中で待ち構えており、ここに差し掛かると唇でしっかりと音を掴まねばならず、そのタイミングが難しくていつも失敗ばかりしていた。
 学芸会の当日、出番が来て幕が上がると驚いたことに、青年が一般父兄にまぎれて最前列に陣取っている。目が不自由なことから出来るだけ少年に近づき動作の気配やハーモニカの音色を手がかりに傍で応援しようと思い付いたのだろう。「荒城の月」がはじまると彼はじっと目を閉じ聴き耳を立てていた。そして、問題の章節に差し掛かったその時、青年がいきなりその場に立ち上がり、指揮棒代わりの小枝を掲げると左右に大きく振りはじめた。一瞬、会場がどよめいた。だが、何ら臆することなく練習の時と同様に堂々と指揮するその姿を目に前に、ひるんでいた少年は度胸が据わり勇気を取り戻すことが出来た。“これで行ける“と冷静になり小枝の拍子に合わせて最後まで、ひとつも間違うことなく、見事に演奏を続けることが出来た。無事に終わると、青年は演奏者に向かい力一杯拍手を送くりながら黙って玄関口から外へ出て行った。少年の胸に熱いものが込み上げて幕が下りてからも動けなかった。このことは母や妹、同級生にも内緒のことで担任のM先生だけが知っていた。
 秋が深まり、釣りが出来なくなると青年の方から少年に会いに来た。放課後、グランドの隅にあるブランコが二人の遊び場、彼は相変わらずハーモニカを吹き、少年にも“寂しいければ吹け”と言って励ましてくれた。そのうち二人の仲が周囲に知られることになり、青年は何時の間にか“ガリバー”と呼ばれるようになった。厳つい体格の上に身長が高く、背を丸め両腕を垂らしてのしのしとゆっくり歩く姿が童話に登場する大男ガリバーに似ていたからである。授業中にグランドに現れると、同級生たちが教室の窓から“ガリバー”と呼び掛けるぐらいに好意を抱くようになり、青年は全校生徒の遊び相手となった。
 その年のクリスマスが近づいたある日、プレゼントを持って青年が家を訪れたがあいにく少年は留守だった。母が預かったカードには「君を見ていると幼い頃を思い出しました、ありがとう」と記され、小さな箱を開けると“ミヤタ24穴C調”のピカピカ光るハーモニが入っていた。お礼を言いたくて住所を調べようとしても苗字も名前も判らず、その上、学校は冬休みで会える機会もないため新学期がはじまる日を待つことにした。ところが、青年との日々はこれ以上は続かなかった。年が明けて間もなくガリバーは何も告げずに街から姿を消したのである。手元にクリスマスプレゼントだけが残った。だが、悲しみが過ぎ去ると、最早、少年は孤独ではなかった。ハーモニカをランドセルに忍ばせ、ガリバーと練習した曲はもちろんのこと新しく憶えた曲も次から次へと吹くことが出来るようになり、やがては地元の中学校から高等学校へと進学した。その後、高校卒業と共に上京し、慣れない東京生活に追われるうちにいつの間にかハーモニカは忘れ去られてしまった。
 今から約30年前、漸く会社を設立するまで漕ぎ着けた私は、相変わらず仕事に追われる日々を送っていた。クリスマスの日、ふとハーモニカを吹きたくなって札幌市内の楽器店で買い求めた。ガリバーが届けてくれた“ミヤタ”を求めたが、あいにくこの店では扱ってなかった。代わりに“トンボ”で吹くと同じ“24穴C調”でも音色は“ミヤタ”の方が幾分繊細に聞こえた。少年時代と現在の私とでは感性がまったく違うはず!と苦笑しながら「ふるさと」を吹いてみた。すると、懐かしい思い出が生々しく蘇って来た。
 ガリバーは失踪して間もなく、私が釣りをしていた川の下流から水死体で見付かった。街の噂では・・目が不自由だから川に落ちて溺れた・・とのこと、噂を耳にしたその夜は何故か?腹が立って悔しくて眠れなかった。拭えども拭えども熱い涙が止まらない。幾日も幾日もあの釣り場へ行きハーモニカを吹いては“ガリバー”と叫んだ。しかし、幼い私にとって彼の死の本当の理由を誰に問い質せばよいのか?その術はなかった。時が経ち冷静に受け止めることが出来た時、天国でガリバーだけが自分を見守ってくれている・・あの学芸会の時と同じように信じよう・・と心に決めた。この時からハーモニカは私の「お守り」となった。
 歳月が過ぎて私が会社を設立した年のクリスマス、その「お守り」は鮮やかに蘇った。相変わらず「荒城の月」は難しかったけれど、懐かしい音色を聞いた時、あの小枝を掲げて指揮を執るガリバーがの姿が浮かび、戸惑っている私に勇気を与えてくれたことは確かだ。気を取り戻した私に待ち望んだ仕事が増え事業が軌道に乗りはじめた。
 現在、私は無事に仕事が終わると“よくやった”と自分を褒めてやり、心地よい気分に誘われると道草する癖がある。その逆も然り、仕事が不振に終われば“不甲斐ない!”と自分を責め、やる気を震い立たせるために寄り道を選ぶ、いずれの場合も帰宅に向かう頃には酔が廻り全てが“忘却の彼方へ”と消え去る。すると、時々お世話になるタクシーの中でハーモニカを吹きたくなる。私からではなくハーモニカの方から私を呼んだと錯覚しているところが酔っ払いの強み、居合せる者は運転手Kさんだけだから好きな曲、得意な曲を思いのまま我を忘れて吹きまくる、この開放感がたまらない。興が乗ると何度でも同じ曲を繰り返し、まさに“一人遊びの醍醐味“はここにある。
 昨年の暮れのこと、友人たちと“飲み会”を済ませた後に一人でいつものお店に立ち寄った。クリスマスが間近だというのに店内は客が見当たらず、まともに女将と目が合った。私よりも少し年下だが会話が上手でいつも笑顔で迎えてくれる。色々と世間話をしているうちに“音楽”が話題になった。“何か楽器が弾ければ楽しいね”と呟いたので“ハーモニカが手軽でいいよ”と奨めた。その私の鞄にハーモニカが入っていた。だが、取り出して“吹く”までの勇気は湧いて来なかった。ガリバーの話題になれば“場”が白けると遠慮したからである。ちょうどその時、ドヤドヤと大勢の客が入って来たのでこれ幸いにと席を譲って店を出た。いつの間にか外は吹雪に変わっていた。舞い上がる雪の中から・・ハーモニカは簡単だから客を待つ間に練習すれば直ぐに吹けるようになる・・ガリバーが囁く気配がした。小学校のグランドの隅で“寂しい時には吹まくれ”と励ましてくれた言葉が聞こえた。
 しばらくして、会社の納会が終わって同じ店に立ち寄った。クリスマスは過ぎたのに店内は 一変して常連客が溢れ女将は奥の方で接客に追われていた。今度は空席が見当たらないので会釈で済まし外に出た。すると、急いで追いかけて来た女将から「来年もよろしく」と言って小さな封筒を渡された。帰りのタクシーの中で開けると、ふたつ折になった便箋にライトブルーのインクで綴られた几帳面な文字が浮かび・・ハーモニカを吹くと幼い頃を思い出しました。久しぶりに心が癒えて嬉しかった・・という文面、どうやら彼女はクリスマス前後にハーモニカを吹いたらしいのである。これもガリバーの仕業なのだろうか?“幼い頃の思い出”と言う一行の詩を奏でるハーモニカの音色は鮮やかに澄み切っていた。そして、もうひとつ、私にクリスマスの思い出が増えたと思うと嬉しかった。(終)