第15話 (最終回)白蛇伝~「コムカラ峠」外伝~

2014.10.27, 月曜の朝, コムカラ峠

~2014.10.27(月)~

 翌朝、祭壇の左右には紙で作られた金と銀の蓮華が左右を装い、正面の上段には黒いリボンに飾られた遺影、中段には位牌と一膳ご飯が供えられた。下段には物々しい香炉と古びた一対の燭台、この二つの仏具は我が家に代々伝わるもので苫小牧の叔父の話によれば亘理藩(仙台藩の支藩)の武士だった先祖が明治五年に入植(現在の伊達市)した時、身に着けていたとのことだった。
 遺影には在りし日の雪ちゃんの笑顔が写っていた。家人たちに混じりお客と一緒に撮ったスナップ写真の中から一枚を選び隣の写真屋さんに引き伸ばしてもらった。ところが、家人の一人がこの遺影を見るなり「嫌味な写真屋だね・・何と下手な腕前!」と吐き捨てるように言うと、みんなが揃ってしゅんとなった。一緒に写した米兵の腕章が遺影の端に僅かに残っていたからである。故人が傷付いたと思い不愉快になったのだろう、家人たちであればこそ直ぐ気が付くことだが、事情の知らない写真屋にはどうでもよいことだったかも知れない。「済んだことは、早く忘れましょう!」と誰かがその場を繕った。私は悲しくなってその場を避けようとすると、背後でお坊さんがこの会話を聞いていた。
 お坊さんは昨晩と同じように私たちをよそよそしい眼で見ながら祭壇の正面に座った。最前列の左から父と母と私と妹、後列には幸ちゃんを先頭に家人たちが並び、やがてこの順番で焼香が行われた。雪ちゃんの両親は顔を見せなかったが、数日が過ぎて遺影と遺骨を迎えに来てくれた。別れ際に「娘のように大切にして頂いて有難う御座いました」と母に礼を述べると「きっと先祖のお墓に納めてくださいね」と念を押すようにお願いしていた。雪ちゃんを不憫に思う母の心境が痛々しく映った。
 読経を終えたお坊さんが神妙な声で「最後のお別れです」と告げて棺の蓋を開けるとみんなが雪ちゃんの周りに集まった。驚いたことに!昨晩、雪ちゃんが身に着けていたはずの白衣が消え、代わりに柳行李に収められたあの紺地を着せられ花模様の下駄を履いていたのである。幸ちゃんの目が瞬きひとつせずじっと釘付けになった。思わず私も固唾を呑んで母の様子を覗った。昨晩の経緯を知らない家人たちは「なんて綺麗な死装束だろう」と感激している。すると、「両親から作って頂いた浴衣姿を着て旅に出るのよ」と母が声を詰まらせた。もちろん、母の仕業に間違いはなく、白衣は目立たぬように小さく畳まれ棺の隅に納められていた。雪ちゃんの遺品は何もかもすべて“本人に持たせてあげる”と母は決めていたのであろう。
 お坊さんが棺を前にして手を合わせると、丁度正午のサイレンが鳴った。この先は母と私たちだけでお別れの儀式に向かうと思った。家人たちが金銀の蓮華を棺に添えてリヤカーに乗せると、幸ちゃんが先頭に立って墓地に向かった。父が留守を預かると言って家に残り、母が遺影、私が骨箱を抱き位牌は妹が持った。そして、もうひとつ用意した別のリヤカーには山のように積んだ薪束と古新聞紙を乗せ、家人が交代でこれを運ぶことになった。
 火葬場は街から少し離れた丘の上で私たちがはじめて行く場所でもあった。近くを国道36号線が走り、札幌方面から車で来ると市内に入る寸前でこの丘に差し掛かる。眼下に街が一望出来るので小さな国境を思わせ、街の中央には川が流れ南は勇払原野が開けて西からは支笏湖の原生林が迫る光景が目にまぶしく映る。空気が透き通っている証拠であるが、その街中を通る行列が棺を引くなど、今では嘘のような光景だった。
 約20分ほど行くと鬱蒼とした木立に囲まれ坂道に差し掛かって何も見えなくなった。  この坂を上り詰めると草むらの中に無数の墓が並び、その奥に火葬場が眠っていた。建物は神社山の相撲場のように四隅に太い柱が組まれ大きな柾ぶきの屋根を支え、床は十畳ほどの広さを有しコンクリートを敷いていた。しかしながら、外壁がすっぽりと省略されている。横から風が吹き抜け煙が屋根を伝わって煙突から抜けるように仕組まれてはいるが、ひと目では雨を凌ぐだけの粗末な建物であった。目に留まったのは、長方形に積まれたレンガの台座であった。ちょうど棺ほどのサイズで高さは約1メートル、屋根から突き出た煙突が薄気味悪い影を落としペチカのような不思議な温もりを秘めていた。持参した薪の束をこの台座に積み上げその上に棺を乗せて火の付いた新聞紙を放り込むと自然のうちに遺体が処理出来る・・雪ちゃんもその台座に乗せられた。家人の二・三人がこの建物に残り、母と他の者たちは少し離れた別の建物で待つことになった。
 しばらくして煙突から白い煙が立ち登った。いよいよ雪ちゃんが天に昇る時が来たと手を合わせて空を仰ぐと、煙が白い尾を持つ生きもののようにくねくねと棚引き、あの白い蛇のように宙を泳いでいた。しばらくすると、もうひと筋黒い煙が現れた。もくもくと次第に太くなると白蛇を飲み込もうとうねりはじめた。ついには黒い大蛇に早変わりして遥か天空を目指し登りはじめた。この踊る不気味な大蛇が女神の化身かも知れないと思った。雪ちゃんは白い蛇、女神に召されて天に登って行くところ・・私に別れを告げている・・とも思えた。
 私たちは火葬場の近くで簡単な昼食を済ませると、その場に留まり雪ちゃんが白い粉になるのをじっと待っていた。時々、家人の二・三人が交代での薪の束をくべるために席を立った。小用を足しに外に出ると、墓場の奥の方から虫の音が賑やかに聞こえて来たので蝉だと早合点して近づいて行った。すると、太いブナが生える草むらからキリギリスの鳴き声が聞こえて来て、しかも、一匹ではなかった。耳を澄ませると短い夏を惜しむかのように木立の中で無数のキリギリスが呼び交わしている。辺り一面に響き渡り、近づいても一向に鳴き止もうとはしなかった。ところがよく見ると、その草むらの中からひとつ、ふたつ、みっつ・・点々と何やら小さな包み箱が覗いている。小箱は果物屋で見かける“みかん箱”や白い布に包まれた箱、中には蓋が開いて中からボロ布が見えているもの、朽ちたものなど様々、どれもが木の根や草むらにひっそりと隠れるように置いてあった。
 不思議に思い更に近づこうとしたその時、背後から母の鋭い声がした。「お前は見ちゃいけない!そんなものは!」この時の母の様子は顔が歪んで眉が引き吊り声が針金を巻き付けたように甲高かった。私を厳しく諌める叫びと共に何かを強く拒絶した感があり、今まで一度も見たことがなく不思議だった。母の異様な様子が原因なのか、奇妙なことにキリギリスの泣き声が一斉に途切れた。それまで賑やかだった草むらが突如として静まり返り、もの音ひとつ聞こえなくなった。全身を打つような不気味な静寂に阻まれ冷たい空気に晒された。ハッとして我に返ると、何故か?見てはいけないものを見たような薄気味が悪く後ろめたい気持ちが私を襲って来た。母の異常な声に圧倒されたことも確かだが、背後から何者かが白いシールでいきなり私の目を塞ぐような“不思議な力”が働いたような気配を感じたのである。恐ろしくなり脇目も振らずその場から立ち去り、再び家人たちが待機する東屋へ戻った。薪の束はすべてなくなっており、母は何事もなかったように幸ちゃんと一緒に帰り支度をはじめた。
 雪ちゃんの骨を拾ったのはそれから間もなくのこと、骨箱をじっと見詰めて幸ちゃんが「こんなに小さくなって」としみじみと呟き涙ぐんだ。帰り道、キリギリスが鳴く木立の傍を通ると、依然として辺りは静まり返り、白い包み箱が木立の隙間から見え隠れして不気味な気配を漂わせていた。キリギリスが私に何を伝えたかったのか?あの不思議な白い光景が目に焼き付いたまま私は軽くなったリヤカーに追われるようにして坂を下った。家に着くと「今夜もお店は休みましょう」と、母の言葉に家人たちはほっとした様子で笑みを浮かべた。その夜も、幸ちゃんが作った“胡瓜の酢のもの”をみんなで食べながら「今頃、雪ちゃんはあの下駄を履いて何処を歩いているのだろうか・・」などとしんみりとした時を過ごした。遺影と遺骨は両親が迎えに来るまでみんなが集まる大広間の茶箪笥の上に祭られ、幸ちゃんが線香とご飯を毎朝欠かさずに供えていた。やがて千歳神社の祭礼が過ぎ秋も深まると、例年のようにサケが川に登って来た。私たち少年はかえでが真っ赤に染まる川岸に集まり、川下から川上まで行ったり来たりしながら黒い群れを追いかけた。だが、支笏湖で雪ちゃんと一緒に見たあの白い蛇は一度も姿を見せることはなかった。
 後年、大学一年生の夏休みで久しぶりに帰省した時のこと、あの時、火葬場で見た白い小箱のことを母に尋ねた。私には忘れられない出来事だったからだ。母が急に怪訝な顔付きになり「あれは本人が始末した胎児だった・・かも知れないね」と記憶を弄るようにぽつりと漏らした。私は愕然として自分の部屋に戻った。折りしも学園は“安保闘争”の余韻が覚めやらぬ頃、友人から「至急戻れ!」との連絡が入ったので早々に我が家を後にした。この頃、幼い頃の腹立たしい思い出が安保闘争へとき立て、依然として米兵は私の敵であった。これ以外にも我が家では様々な事情が重なり私と母は決定的な不仲になろうとしていた。(おわり)