第8話 暁の“ろうさん”を尋ねて

2013.01.21, 月曜の朝

~2013.01.21(月)~

謹賀新年。
新年仕事始めは一月七日、例年になくお正月休みが続きお陰様で気ままにゆっくりと自宅で過ごすことが出来た。元日の初詣は、毎年、散歩と運動を兼ねて愛犬ネオと一緒だったが、残念ながら相棒を亡くした今年は何故か?神妙な気分に襲われ“何事も己れ一人で実行すべし”と身構えつつ一人淋しく千歳神社へと出掛けた。家を出る時、辺りは真っ暗だったが旧国道36号線沿いに建つ大鳥居が見えると林の奥にうっすらと黄金色の日が射しはじめた。鳥居を潜り小学校のグランドを過ぎると小さな丘の麓に千歳川を見守るような様子で社務所が見えた。御神体はこの丘の鬱蒼と茂る森の奥に安置され、ここは少年時代に我が家の庭の如く級友たちと遊び廻った思い出の場所でもある。
二の鳥居を潜り急勾配の石段を登り詰めると白銀一色に包まれた神殿が正面に現れ、思わず身体がぶるっと震えた。神々しいとはこうした香しい光景であろうか・・今年の寒さは一段と厳しいが、繰り返し吐く息が重なり合いまるで龍の如く冷気の中を舞い上がった。参拝する人々の影の中から「新年おめでとう!」と甲高い声が上がり、同時に本殿では鈴の音が響いた。その音が松の枝に積もった雪をかすめ僅かに白い破片を散りばめた。その淡い粉の向こうに厳かな風情を有する回廊が連なり幾つもの絵馬が歴史を物語っている。千歳神社の縁起は17世紀半ば弁財天を祭った時にはじまると聞いた。
 ここに住む人々が千歳川で採れるサケの豊漁を祈願した所以かも知れない。幾つかの絵馬の中で一段と眼を引く絵柄があった。それは身を鎧に固めた雄々しい若武者と天女の如き羽衣を纏った美しい女性が互いに向かい合う姿である。おそらく若武者はスサノオノミコト、女性はクシナダヒメ、古事記に登場する「八岐大蛇退治」の場面であろう。「八雲立つ、出雲八重垣。妻籠みに八重垣つくる。その八重垣」・・高天原を追われ出雲に下った暴れ者が八つの首を持つ大蛇を退治し新妻を迎えるとこの地で英雄になった。大蛇退治は英雄に課せられた試練だと想像すると、いつの時代もリーダには並々ならぬ試練が待ち受けているものだ・・と思った。
回廊が閉じるところが神殿からの出口でここから裏参道が続き、起点には「ろうさん」と刻まれた石碑が建っている。「ろうさん」とは“この場所から川や海に抜けて行く”を意味するアイヌ語地名だと説明が附記さ れ、千歳川は行く行く石狩川と合流し、やがて日本海へと注ぐ・・この意味も含まれてのことであろう。この辺りには擦文時代の遺跡やアイヌのチャシ跡(見張り台)が発見される。ちなみに千歳川の源泉である「支笏」は「思古津」とも書かれた時代があった。滑り落ちるように清流へと続く裏参道の女坂は、シコツ十六場所のひとつとされ、目印はブナの老木である。ここには、ひとりの少年がこの老木の影から竹スキーを乗り入れ一人楽しんだ懐かしい記憶が埋もれている。かって、少年はこの裏参道から悲しい街を目指し全力で疾走、激しく雪煙を立てながら未来へと飛び立たとうとしたことがあった。久しぶりに訪れた“ろうさん”・・将に暁に輝く“ろうさん”はむかしも今も私の道しるべである。(終)