12月 01

~富士山から感動をもらう~

出発日七月九日(土)小雨のち晴れ。

羽田空港に着くと小雨が降っていた。急いでバスに乗り込むとガイドさんが「東京はあいにく梅雨なんですよ」と残念そうな口調で顔を顰めた。「北海道の我々には梅雨なんて関係ないですよ」と筆者は気を遣いソフトに答えたが、胸の裡は“雨が降ろうが風が吹こうがこの旅は続けるぜ!”と既に気分が盛り上がっていた。東名高速道路に入ると町田市周辺で凄まじい渋滞に見舞われ約一時間ほど“忍耐一筋”が続いたが漸く山中湖ICを通過する辺りからいよいよ“この旅”がはじまった。
IMG_0042最初の訪問地は富士山の裾野、湧水で名高い忍野八海(山梨県忍野村)である。大勢の観光客に混じって雨に煙る池を廻る、覗くと清く澄んだ深い水底に見事な錦鯉が泳いでいる、眼を見張りながら“山は富士なら、こころは錦!”と自分に言い聞かせ拳を握り締めた。鮮やかな色彩を放つ錦鯉は、富士山が下界に遣わした美麗な使者の如く、艶やかな姿で我々を迎えてくれたお陰で“この旅”は上場のスタートを切ることが出来た。火山活動により山麓に溜まった伏流水が長い歳月を経て湧水池に変貌、その後、富士山信仰で修験者が行う水行の霊場だったことから霊水と呼ばれ、様々な伝説を伝える池や自然保護の視点から水質や水量、景観を誇る池など、この辺り八箇所に点在し平成二十五年に世界文化遺産に指定された。古びた茶店を覗くと我が班の面々がニコニコ顔で“田舎蕎麦”を食べていた。この頃、漸く小雨が上がり空気が澄んで周囲に薄っすらと陽が射しはじめた。バスへ戻る途中、農家の庭先で満開に咲く“あじさい”の花が放つ深い“蒼”に思わず見惚れてしまった。清清しい“蒼”も富士山の使者かも知れなかった。
次に訪れた北口本宮富士浅間神社はIMG_0081鬱蒼とした森の中、幅広い参道を登ると樹齢数百年を越える御神木に守られた社殿が祭られ、その剛健さは戦国時代の武将・武田信玄公の姿と重なった。天下を目指した武将の厚い信仰心が境内の隅々まで染み渡り「天を畏れよ!」との啓示に触れたような錯覚に襲われ、勇壮な佇まいに言葉を失った。ふと、脳裏に「風林火山」の旗が翻える、富士山麓を背景にこの重厚な神殿が「国取り物語」の守護神であっても何ら不思議ではない・・戦国時代が生々しく蘇る不思議な空間、この神妙な沈黙が気ぜわしい日本人の魂を鎮めるようにも思え、振り返ると太い樹木(杉)が参道の両脇を固め、そのひとつひとつに神霊が宿り参拝者を奥の神殿へと導いている。やはり富士山は単に大自然の雄大さや美しい景観を誇るばかりではなく、古来、日本人の精神的支柱であり続けていることを証明しているのであった。
宿泊ホテルは河口湖温泉郷にある老舗旅館、久しぶりに大勢で頂く夕食は和気藹々、愉快な会話も富士山からの“贈りもの”であろう。酔いにまかせ、明日はどんな富士山に会えるのか?それを楽しみに温泉に浸るとスキッと元気が舞い戻って来た。

翌日7月10日(日)快晴。
朝風呂を浴びに行く途中、旅館の店員さんへ「お風呂から富士山は見えますか?」と尋ねると「遊歩道を3キロほど行くと富士サンに会えます」と爽やかな声が返って来た。単純に“山”が“サン”に聞えたに過ぎないが、地元では日本一の山を“サン付け”で呼ぶ隣人の如き身近な存在だと直感、更に彼女は、「湖畔は観光客で賑わうから恥かしがり屋の富士サンは山陰に隠れていますよ」と笑顔を浮かべた。筆者の想像は当たった様子、まるで“富士サン”という隣人が河口湖畔に住んでいるみたいに聞えて微笑ましかった。このユーモア溢れる彼女の明朗さこそが日本一の山を“愛でる心”を伝えている。
IMG_0206快晴のもと、河口湖に浮ぶカヌーを眺めながらバスは富士スバルラインを走り抜けて富士山五合目に到着、いよいよ“日本一”に会えると思うと胸が弾んだ。山岳地帯であれば人影は少ないと予想していたが、意外なことに売店がズラリと並び観光客やら登山客で賑わっていた。ところが、展望台に登ると風景は一変して目の前に赤い岩肌をむき出しにした仁王立ちの富士山が現われた。下界の賑わいを余所に天空の一画を陣取るといった悠々たる風貌でどっしりと腰を下している。旅行者を涼しげな様子で見下ろすこの相手に“漸く会えましたね”と囁きわざと親しみを込めて敬礼すると、派手なリアクションはないものの我々を歓迎するかのように突き抜けた青空がどこまでも澄み渡っていた。・・ああ、これが富士山の“こころ”の裡だ・・と感じ入った。もちろん、“登山”も楽しいであろう、しなしながら近くで見る富士山も一段と力強く凛々しい上に勇気を与え、頼もしい魅力に満ちている、一瞬、冷たい風が筆者に体当たりを食らわし「この絶景を忘れるなよ!」と言わんばかりに素早く通り過ぎて行った。どうやら、この風も富士山が放った爽やかな使者らしい。真夏でも涼しい富士山はストイックで少し不器用なスポーツマンタイプかも知れない。
店頭でソフトクリームを食べていると傍で“そろそろ出発するよ!”との声が聞こえ、リュックサックを背負った数人が登山口へと歩き出した、その先に数頭の馬が柵に繋がれ藁を食んでいる。この馬たちは観光客を乗せて見晴台まで登って来るのだと“山男”が教えてくれた。見晴台まで登りたいと願いながら柵に近づくと、眼が合った小柄な馬がひどく痩せているので気の毒になり止む無く諦めることにした。すると、傍にいた飼い主が「この馬、身体は小さいけれど一番元気ですよ」と声を掛けて来た。「北海道にも道産子という農耕馬がいますよ」と相槌を打ち、続けて「同じ小柄な体格ですが、力持ちで働き者です」と付け加えると飼い主が満足そうに頷いた。この痩せた馬が他のどの馬よりも一番の稼ぎ頭だから“可愛いくて仕方がない”と日焼けしたその顔がつぶさに伝えていた。“道産子”も北海道一番の稼ぎ手だった・・と昔を思い浮かべるとこの男性に妙な親しさを憶えた。
“登山”のことを尋ねると高山病対策の話題で盛り上がった。彼の話によると、ちょうど今頃(正午)にこの五合目を出発すると夕方五時ごろには八号目の山小屋に到着、その場で翌日午前一時ごろまでゆっくり休息を採って気圧に慣れ、体調を整えてから約四時間ほど登れば頂上、幸運に恵まれたらご利益ある“ご来光”を拝めることが出来るとのこと。筆者は北海道の山岳で一度“ご来光”を友人と一緒に見たことがあるが、あの時の感激は今も忘れることが出来ない。富士山の“ご来光”とあらば将に日本一の光明、この厳かな美景はめったに見ることが出来ない。我が登山組がこの絶景に遭遇すれば誰もが体験したことのない感動に浸ることが出来るであろう・・数日後、この五合目を通り山頂に向かう勇ましい彼等の姿を思い浮かべると羨ましかった。展望台に戻ると同乗者たちが待っていた。相変わらず飄々として赤肌を晒す険しい御姿、しかし、その頂上にはぽっかりと白い雲が浮び、ひとつのメルヘンを物語っている。“さあ~記念写真を撮ろう!”との声が掛かり、富士山を景にT君がシャッターを切った。そして、敬愛する仁王様に脱帽して別れを告げた、だが、この直後、忘れられない光景に出会うなどとは想像も付かなかった。
五合目から山梨市へと山道を下る途中、バスの車窓から垣間見た優美な富士山、盆地を囲む甲斐の山々、その遥か向こうから山梨市を見守るように堂々と聳える姿が目に飛び込んで来た。先刻見た仁王様とは別人の如く翼を大きく広げた白鳥みたい、あるいは絹のドレスを纏った貴婦人のように、真夏の陽を浴び科を作って立っている。“ほら!綺麗・・”誰かが叫ぶと運転手さんがゆっくりとバスを止めた。私たちは一斉にシャッターを切りながら華麗な姿に見惚れ溜息ばかり着いていた。その雄姿は広重の浮世絵や大観の絵画とは比べものにならないほど優雅で清楚な富士山、山梨県はこの慈愛に満ちた風景のお陰で人々が潤っている・・そう思わざるを得なかった。ところが次の行き先では、この美景とはまったく趣向の異なる荘厳な光景に遭遇することになった。“この旅”はまるで走馬灯の如く場面が入れ替わり、お祭りの如く我々を夢の世界へと誘った。
CIMG1122秩父多摩甲斐国立公園の昇仙峡、主峰は覚円峰、むかし“覚円”と名乗る僧侶が畳数枚ばかりの狭い頂上で修行をしたとの伝えが残る霊峰を遠くに眺め、幾重にも連なる険しい絶壁に囲まれた遊歩道を黙々と歩く。すると、激しく波立つ渓流の中から突然に巨大な岩石が現れ、「お前らは何しにここへ来た!」と厳しく尋問されるような恐怖に襲われた。音声と言えば、渓流のせせらぎと小鳥のさえずりぐらいだが、この非日常的な静寂が在らぬ幻想を呼び起こすらしい・・かぶと岩、よろい岩、えぼし岩、羅漢寺と続く岩壁に差し掛かると、物陰からカサカサと鎧が摺れる音と共に落ち武者がささやく不気味な声が聞こえ、監視されているような怪しい気配に執りつかれその場で竦んでしまった。人を寄せ着けない秘境、この渓谷で起る様々な摩訶不思議は古代より現代に至るまで延々と息付いているに違いなく、これも富士山麓の魅力のひとつであるかも知れない。
IMG_0425宿泊のホテルは山梨市内、街外れの石和温泉郷にあった。玄関先には石の彫刻が置かれ、木魚に寄り添って眠る可愛い小坊主が我々を迎えてくれた。広いロビーの床は“池作り”の細工が施され、渡り廊下から水面を覗くと大きな錦鯉が泳いでいた。この池も富士山の湧水か・・もしかすると、錦鯉は忍野八海育ちかも知れない・・風流な温泉や店内に飾られたお土産品など、どれもこれもが富士山からの“贈りもの”のように見えた。夕食を兼ねた宴会は富士山への感謝を込め、“この旅”の終わりを惜しんで賑々しくカラオケで幕を開けた。旅の疲れだろうか、寝床に付くと早々に睡魔が襲って来た。

そして、最終日七月十一日(月、快晴)を迎えた。
最終日、“旅の疲れを癒そう”との幹事諸君の計らいにより山梨市内で“桃狩り”(豊玉園)を楽しんだ。甲府は葡萄、桃、サクランボウなど果実の宝庫、これも富士山からの“贈りもの”だろう。果樹園の主人が長年に渡りわが子のように育てた桃の木が行儀よく並んでいる、天空が晴れ渡る盛夏を待って、見事に実った赤い実を園主がその手でそっと捥ぎ取り、富士山に一礼してから薫り高い風味を瑞々しく味わう、それがこの土地の風情であろう、広々とした穏かな風景の全てに富士山の恩恵が行き届いていた。入り口に掲げた「地方発送、受け賜ります」の看板に目が留まり、“富士山からのプレゼントです”と伝言を添え、帰りを待つ家族に大きな桃六個を箱に詰めて宅急便で送ると、長閑な気分に包まれた。
IMG_0483羽田空港に着くと出発時間までに少し余裕があったのでKさんに奨められて“足のマッサージ”を試してみた。身体を解しながら旅で出会った様々な“富士山”のことを考えた・・湧水池に泳ぐ鮮やかな錦鯉、豪壮な社殿を祭る武将の信仰心、荒々しくて尚も険しく、時には優雅で華麗に化身する貴婦人、“恥かしがりやの富士サン”と呼ばれる住人、神秘と伝説を語り続ける謎の落人、また、房々した葡萄と芳醇なワイン、甘く熟れた桃やサクランボウ、手作り地ビールにお洒落な信玄餅、温泉や湖沼など甲府に宿る自然の恵みをも考え合わせると富士山は様々な顔を持ち、日本人の“こころ”の中に生きる「伝統」と呼ばれる一本の糸を操り様々な絵模様を編み込んでいた。
如何なる相手や如何なる状況に対しても慈愛を持ち続け柔軟に対応する富士山、これを図形に例えようとすると、真正面から見える“円”や“正方形”の如き単純さではない、さりとて“三角形”の鋭さや“多角形”の刺々しさみたいな“こだわり”もない。ただ、真正面から見れば確かに一面の形体であるが、斜めから覗いても同じ面に見える・・そして、じっと眺めるうちにこの形状の奥に広がる“多面体”が見え、やがてそれは“球体”として目の前に出現する。富士山を通して「日本の伝統」を問えば、“多面”を有する“球体”であるのかも知れない。この“多面体”が放つ一筋の“光明”が人々を救う希望の証であろう。
短い“旅”ではあった・・だが、様々な“かたち”を為した富士山に接し熱い感激に震えたこの自分を忘れることはない。一方、“登山”を目指し、幸運にも“ご来光”を拝めることが出来た同胞たちは、全く異なる次元の感動に包まれたであろう。このように参加者全員が共に過した至福のひと時こそ、将に富士山から頂いた“贈りもの”であり、改めて“この旅”の深い意義を考えざるを得ない。
富士山は何時の時代も日本人の原風景をその巨体にしっかりと刻み、決して“日本の伝統美”を損なうことのない普遍性を有しているところが偉大である。また、この果てしない包容力とは別に、時には荒々しく、時には厳しく愚者を諫め続け、如何なる時でも希望を与える素直な姿を我々の目前に晒してくれる、将に「日本の品格」を象徴する伝道者と言わねばならない。我々は“この旅”に参加することで日常の自分から少し距離を置き、勇壮な富士山と向き合うことで新たな自分を発見した者は筆者ばかりではないであろう。“周遊”や“登山”を通して自分の中で何か手ごたえを掴み、こころから感動した大勢の同胞たち、これを思うと誠に設立三十周年記念事業に相応しい“この旅”であった。それぞれの体験が明日への英気に繋がる糧になったことを願って止まない。(終)

12月 01

 30周年記念行事の一環として富士山登山および周遊旅行を開催しました。
旅程としては大きく2班に分かれて出発。
1班は7月 9日(土)~11日(月)(2泊3日)周遊組(15名)で出発。
2班は7月16日(土)~18日(月)(2泊3日)周遊組(11名)と登山組(17名)合同の出発となりました。私は2班の周遊組として出発しました。

・1日目(雨のち曇り)7月16日(土)(7:30集合 8:30新千歳空港出発)
 新千歳空港には早朝の集合でしたが遅刻者が一人も出ず無事羽田空港に向けて出発。
羽田からは旅行会社のバスに乗り横浜オフィスビル前に向かいました。
そこで別途集合していた東京・横浜メンバーと合流、総勢28名の団体になり、意気揚々と富士山の麓、山梨に向かいました。

・山梨に到着後、忍野八海(おしのはっかい)を散策(15:00頃)
 天然記念物である「忍野八海」は、富士山の伏流水に水源を発する湧水池です。
神秘的な湧水池が八つあるらしいのですが、時間の都合から全部見る事は出来ませんでした。残念。
更に池と富士山のツーショット写真を撮れると期待しておりましたが、富士山は雲の中で全く見えずじまい。残念。

・北口本宮富士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)参拝(16:00頃)
 境内に入ってすぐに巨大な杉の木が目に入る。
富士太郎杉(ふじたろうすぎ)樹高45m以上、推定樹齢300年以上(山梨県指定天然記念物)の雄姿に感激。
しっかりと生き続けて来た生命の尊さと歴史の重みを感じました。

 その後、登山組は登山に必要なレンタル品を受け取りに行き、持ち物の確認、リュックへの荷物の詰込み方等を教わり、1日目の宿泊先になる山岸旅館に到着しました。(17:30頃)
旅行中(3日間)の天気予報は曇りまたは雨でした。
晴れる事が全く期待出来ないまま、今までの道のりでも一度も富士山を見る事が出来ず、富士山の麓まで来て一見も出来ずに帰る事になるのではと若干不安にかられておりました。
但し、夜の宴会が始まると登山組、周遊組合同の大宴会となり、何故か全員が一言づつ話をする流れにもなり大いに盛り上がりました。

・2日目(予想に反して晴れ)7月17日(日)(8:30出発)
 日頃の行いが良いからなのか?、まさかの晴天。
 富士スバルライン経由で富士山五合目までバスで行きましたが、五合目からの眺望も雲海がダイナミックに広がり、富士山の頂上もくっきりと綺麗に見る事が出来ました。
 ここからは登山組と周遊組が別行動になります。(9:30頃)
登山組は準備を済ませて頂上を目指しましたが、詳細は登山組のブログをご参照下さい。

 やっと見る事が出来た富士山ですが、夏の富士山は遠目で見ても頂上付近に雪も無く、私が普段イメージしている富士山とは全く違って見えました。
特に5合目から見上げる富士山の頂上付近も想定外の景色でした。
また、登山者が想定以上に多い事にも驚きました、流石、世界文化遺産と言う気持ちと裏腹に、同様に世界自然遺産に登録されている知床と比べると、守らなければならない遺産としてこれで良いのかと疑問にも感じました。悩ましい選択です。

・周遊組は五合目近辺で散策を済ませバスに乗り下山しました。(11:00頃)
 昼食はマンズワイン勝沼ワイナリーへ向かい焼肉を堪能、余談ですが石プレートの構造上、野菜を焼くのにかなり手こずりました。
ワイン工場の見学と試飲、試飲を重ねる毎にどれが好きな味なのか全く解からなくなり、お土産ワインの購入は断念しました。

・その後、移動して昇仙峡を散策(15:30頃)
 全長5Km程度の一部(2Km程度)を散策。
大小の奇岩(渓谷)を見ながらマイナスイオンを感じつつ、途中で立ち寄った茶店(金渓館)で、あえて有名な桔梗屋の信玄餅ではない信玄餅アイスを堪能、これはこれで美味でした。

・そして2日目の宿泊先である石和びゅーほてるに到着。(17:30頃)
 夕食会は1日目とは打って変わって周遊組の11名のみでこじんまりと宴会を開始。
カラオケが用意されていましたが今一つ盛り上がらず(私だけ?)終了。疲れのせいかな。

・3日目(この日も予想に反して晴れ)7月18日(月)(9:00出発)
 いよいよ最終日、ホテルを出発して直ぐ近くにある豊玉園で桃狩りを体験。
熟した桃が見つけられず、まるでリンゴの様な食感の桃をカリカリと食べて少し残念。

・その後、有名な桔梗屋に寄り、工場見学とお土産購入。(10:00頃)
 流石に滅茶混みの店内はあまり近づきたくない程の熱気でしたが、何とか信玄餅を購入。
これで家庭円満かな?
・昼食は御殿場高原ビールでバイキング、ビール飲み放題。(12:00頃)
 全種類(6~7種類位)のビールコンプリートならず。

・静岡のビール園を後にして帰路に付きました。(13:00頃)
 満腹(飲酒)と疲労感(連日の夜更けまでの部屋飲み)から、車中は静寂。
東名高速では予想外に渋滞に巻き込まれる事もなく横浜オフィス前で東京・横浜メンバーと別れてその後、羽田空港に到着。(17:30頃)

 ここで登山組(札幌)のメンバーと合流。全員が頂上にたどり着き感動を味わい、無事に下山出来た報告を受けてホットしました。新千歳空港到着は21:35過ぎ。

 各自、家に到着できたのは夜遅くで、次の日から通常通りの勤務を考えると、ちょっとスケジュール的には余裕がなさ過ぎたなと感じています。
それでも、皆それぞれ楽しんでもらえたと思いますし、色々と準備に向けてご対応くださいました委員会の皆様に感謝いたします。ありがとうございました。
次回はいつ、どこにしましょうか? 澤田

8月 16

~富士山登頂 挑戦者たち~

・「一生の思い出」になりました。

・また、すぐにでも挑戦したい。

・山頂でコーヒーをドリップして飲みたい。
でも今回はできなかったので、ぜひ近いうちに。など・・・

今回、創立30周年記念富士登山を経験した社員の感想、意見をまとめました。
機会があったら、次回は皆さんもぜひ挑戦してみてください。

【登山前】
・日本一の富士山に登ることへの期待、高山病にかかることへの不安がありました。
・「ブラタモリ」を見て登ることに決めました。
・前日に受けたレンタル用品の使用方法について、内容が多く活用できるか不安でした。
・五合目で既に軽い頭痛があり、不安を感じました。
・出発前に取った昼食のハヤシライスのごはんが富士山に見立ててあり印象的でした。
・家族に事前にスケジュールを渡したら、山頂から電話はいらないと釘をさされた。
・高尾山を登り、事前にトレーニングしました。

【五合目スバルラインを出発~八合目山小屋まで】
・前半~中盤まで平気でしたが、岩場にさしかかったあたりから、つらくなってきました。
・体力的に問題無し、気力も十分。でも軽い頭痛。
・岩場が中々ハード。
・できるだけ、高低差のない道筋を選んで、ゆっくりと登りました。
ア!これが登山なんだと体感しました。

【山小屋】
・身体は疲れているはずなのに全く眠れず、長い夜になりました。
・寝息を立てて寝ているひとが羨ましい。
・頭、痛い(高山病?)、日焼けで腕が痛い(日焼け止め忘れました)
・気持ちが高ぶっていて眠れない。寝床は狭い、硬い、明るい。頭痛が悪化。

【山小屋出発~九合目】
・夜、ヘッドライトを使った登山は、初めてでいい経験になりました。
・ほぼ暗闇の中を登ることに若干の恐怖を覚えました。
・暗いなか、少し危険も感じたが集中して登れた。

【ご来光】
・ご来光の情景が、とてもきれいだった。
・雲の遥か上から見る風景は中々北海道の山では味わえないです。
・ご来光が雲海と相俟って、とっても良かった。頑張って登ってきたかいがあった。

【山頂】
・山頂直前の岩場が、一番きつかった。少し登っただけで心拍数が、すごく上がった。
・登頂した瞬間は、何とも言えない喜びでした。
・バンザイ三唱、良かった。
・山頂での万歳三唱・・・良かった。携帯電話が使えたので、自宅に電話して感動を伝えた。
・火口付近の風がすごい。
・バンザイ三唱は、楽しかった。

【下山】
・登山よりも下山のほうが苦しかったです。マスクを用意しなかったので、
・砂埃が口に入り、深呼吸ができなくなりました。
・登頂の目的を達成したこともあり、道も景色も単調ななかをひたすらな下山は、とても疲れた。
・足の裏が痛い。土埃ひどい。ラーク!!(わかる人はわかるよね)

【石田ガイドさん】
・たくさんの情報を私たちに教えてくれました。
出発前に空を見上げて、「今日は雨の心配は無いでしょう」の言葉に、ひと安心。
ザックの重さ、水、着替えのアドバイス、とても役に立ちました。
・「山梨県」「吉田ルート」「富士スバルライン五合目」この3つを、頭がクリアなうちに、
休憩の度に繰り返し、覚えさせられました。
離脱し、ひとりで下山しなければならない状況になったときのために、必要な情報です。

・良いガイドさんにあたってよかったと思いました。

・とても、良い方。石田さんのおかげで全員登頂できたのだと思う。
声量すごい大きい!あんなに声出して高山病になぜならないのか?

・全員が登山できたのは、ガイドの石田さんによるところが大きいと思う。
適切なペースは、ガイドの石田さんのおかげ。
適切な休憩と深呼吸、トイレ情報、水情報、そして富士山に関する知識、
常に皆を鼓舞して安心感があった。

・石田さんの離脱率は、1.7パーセント。なので、2人がリタイアしても
おかしくない状況だったそうです。
「皆さん、よく、僕の言うことを守ってくれて、協力してくたこと、そして、後列の
メンバーの頑張りに感謝します。なにより、全員が登頂に成功したことを、
とてもうれしく思います。」  と言葉を頂きました。

【次回、富士登山に挑戦する社員の皆さんへ】
・登山用具は、レンタルで大丈夫。細かい備品は重要だと感じました。
(帽子、サングラス、日焼け止めクリーム、下山に必要なマスク)
・トレッキングポールが役に立った。なかったら、身体がもっとダメになってたと思う。

【登山を終えて】
・「え!こんなに登るの!」登山メンバーの人数がまさかの17人にびっくり。
しかも全員登頂成功!いや~良かった!
・前日出発した五合目スバルラインに到着したときは、心地よい達成感でした。
・天候にも恵まれ、無事にご来光をみることが出来たのが嬉しかった。
・いや~疲れました。
初めて登ったとき、もう二度と来る機会は無いだろうなと思ったのに まさかの三回目でした。
・今回、登山してよかった。ペースを間違わなければ、体力的には意外と大丈夫だと思いました。
・富士登山は、一生の思い出になりました。

ブログ担当Ⅱ

7月 28

登山組 17名全員 登頂成功!!

メンバーのほとんどが初挑戦です。
よくやりました!

未経験のため不安を感じて、インターネットでたくさんの情報から準備をしました。
日本一の山に登る期待と、高山病の不安がありました。
もちろんトレーニングも必要でした。
当日の天気、気温も気になりました。

7月になり登山口が次々と山開きし、
当日はシーズンピークの6千人が登山を予定 していたそうです。

お天気良好!
5合目で高さに身体を慣らし、富士山保全協力金を払っていよいよ出発です。
体力に自信のある人は後ろの方に、しんがりは3度目の経験者にお願いしました。
一列で歩きはじめました。
歩くという表現がぴったりのペースです。
ガイドの石田さんが先頭で しっかりとペースを作ってくれました。
横を次々と追い抜く方を気にせず、「カメ」さんに徹しました。

予定の工程
五合目 12:00出発 ⇒ 16:00 八合目の太子館(山小屋)到着 ⇒
仮眠 ⇒  八合目の太子館 0:00→2:00出発 ⇒ 山頂 4:00→6:00到着 ⇒
山頂 5:00→7:00下山開始 ⇒ 9:00→11:00 五合目スバルライン到着

山頂付近の渋滞を避けるため当初の予定を変更し、
太子館0:00出発を2:00に、 以降2時間遅らせる予定に変更しました。
ガイドさんの判断のおかげで渋滞を回避し スムーズに登頂できました。

道中ガイドさんから、下に見える景色、
登山道の植物の説明を受けながら登りました。
どれも貴重な説明で、感服です。
シャクナゲの大輪と紅葉が同居していました。
定期的に深呼吸、これが後になってどんなに大事なことなのかがわかります。
こまめに休息を取り、予定通り出発から4時間後太子館に到着です。
HIT技研に準備された寝床は4階(全て階段)、小さな悲鳴が出てしまいました。
八合目に点在する山小屋の近辺は、岩場の連続で厳しい場所でした。

山小屋での仮眠は、良く眠れた人は少なかったようです。
登頂に備えて、とにかく身体を休めました。
広さは2畳に3人くらいで、身体の幅の敷布団に寝袋です。

AM2時太子館を出発前日の登山で登り方が身に付いたようです。
ヘッドランプで灯した暗い道を順調に登りました。
あたりがだんだんと明るくなり、9合目で「ご来光」です。
刻々と太陽が昇る様子を眺め、 写真に収めました。
雲海がとてもきれいで、太陽と相まって感動的な景色でした。

山頂の手前30分は、岩場です。
順調に登りきり、ゴールのようでうれしい鳥居をくぐって、 いよいよ山頂に到着しました。
17人の隊列が先頭から、次つぎと到着しガイドさんと握手、
全員が登りきったところで、
「HIT技研、全員登頂、おめでとうございます。登頂を祝して、バンザイ三唱いたします」
とのガイドさんの口上、
「バンザイ!!バンザイ!!バンザイ!!」
全員笑顔で思いっきり声をあげました。
記憶に残る瞬間でした。

山頂では、朝食(お薦めのぶた汁800円也)後、お鉢、噴火口を見学しました。
風が強く 気温は5度くらいです。

予定通り7時から下山開始、これはとてもつらい経験でした。
下山道は小さな軽石が 敷き詰められています。
滑りやすく、前の人がたてた火山灰がもくもくと立ち上り、マスクは必須です。
11時五合目スバルライン到着。
みんな笑顔で、心地よい達成感を味わいました。

「富士展望の湯 ゆらり」さんで2日間の汗と泥を洗い流、しきれいになって帰路につきました。
この2日間の体験を語り合いたいところですが、横浜駅で東京・横浜オフィスメンバーとはお別れ。
帰路のレインボーブリッジでは西に夕日が広がり、富士山で見た同じ太陽が見送って くれたようで、ちょっと感動です。
羽田で周遊組と合流、全員無事札幌に帰り着きました。

富士登山は今回の会社行事がなければ経験できなかったと思います。
とてもいい経験を させて頂きました。
会社と企画を提案した社員に感謝します。
次回はきっと今回よりも景色を眺める余裕と、絶対に必要なアイテムの準備もできて 富士山をもっと楽しめると思います。
それでは登山のように仕事もがんばりましょう!

ブログ担当Ⅱ

9月 01

7月25日(土)に当社創立記念行事が行われました。1
例年、日頃の運動不足の解消のためボウリングやパークゴルフなどのスポーツを行ってきましたが、今年はアンケートの結果バーベキューが選ばれ家族の方も同伴で行われることになりました。当日の天気予報は雨で心配されましたが、幸いにも持ちこたえ無事開催することができました。
バーベキュー中の企画として永年勤続表彰、社長賞の表彰、ゲーム、抽選会が行われました。
永年勤続表彰は総務部から表彰式が行われ社長より賞状と金一封が授与されました。
5年勤続者:3名
20年勤続者:3名

永年勤続表彰の様子1
永年勤続表彰の様子1

永年勤続表彰の様子2

永年勤続表彰の様子2

社長賞の表彰では売上への貢献とエンドユーザーへの献身的な対応が評価され物流関係のプロジェクトが表彰されました。

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写真はプロジェクトマネージャー

ゲームはじゃんけん大会を行いました。最終決戦は会長の奥様とシステムS部長との対戦になりましたが会長の奥様が勝たれました。

抽選会では、社員会で用意した景品の他に役員、部長職の方からも景品を用意していただき行われました。1等のコーヒーメーカーは総務部の方が当選されました。

ジャンケン大会の様子
ジャンケン大会の様子

抽選会の様子1 抽選会の様子2

抽選会の様子1         抽選会の様子2

毎年社員全員に、会社のマスコットキャラクターふくろうの「コルシャ」にちなんで、
ふくろうグッズが配布されます。

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今年のふくろうグッズは、ふくろうの「めもかん」です。
また来年も皆さん健康で開催できればと思います。

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8月 19

2015年7月25日

今年は、例年行うスポーツではなく、趣向を変えてバーベキューを
行いました。場所は真駒内の北海道青少年会館コンパスです。
前日の予報は雨で、早朝には雨が降り、強力な雨男も居ることから、
とても、心配しましたが、どうにか降られずに済み、無事、開催する
ことができました。

社員会のメンバーが、事前に何度も集まって準備し、当日もこまごまと
立ち働いて、とても良い記念行事になりました。また、会長の奥様はじめ、
社員のご家族も参加され、和気あいあいと会が進みました。

永年勤続で表彰された社員を紹介します。敬称略
【勤続二十年】
永井、柳田、松田(雅)
【勤続五年】
宮村(健)、井上、松田(武)

今年は、下記のプロジェクトが社長賞を受賞し、表彰されました。
【社長賞】
あらた様保守プロジェクト

お肉と、野菜を食べながら、ジャンケンゲームや、くじ引きを行い、
楽しい時間を持つことができました。
また、次回も社員が一人も欠けることなく、来年度の新入社員も
仲間に入れて開催できたらいいと思います。

ブログ担当Ⅱ

5月 28

2015年度の方針発表と入社式を行いました。創立30年を迎え、さらに
発展する企業を目指して、新しい方針の基、社員一丸となって、
気持ちを新たに再認識した、いちにちでした。

長年、お世話になったAKKビルで行う、最後の入社式となりました。

今年度は、新卒者二名が新たに社員として採用され、HIT技研の
仲間に加わりました。

2015年5月13日 ブログ担当Ⅱ

1月 14

1月11日(日)は鏡開き。
お正月に神様や仏様に供えた鏡餅を
下げて食べる日本の年中行事です。

我社も社員の無病息災を祈って
2日早い鏡開きを行いました。

どうぞ今年も社員全員、元気で過ごせますように!
鏡開き

1月 08

当社の会議室にて、来春入社社員の内定式を行いました。
今年は、二人の若い力が加わります。

澤田専務から「内定証」の授与のあと、懇親会を行いました。
専務、部長から、簡単な自己紹介、仕事の内容やお得意様について、残る学生
生活を有意義に過ごしてほしい等のお話しがあり、おふたりは、熱心に耳を傾けていました。
始めはやや緊張ぎみでしたが、だんだんと表情もほぐれ、問いかけにも、なごやかに
受け答えしていました。

おふたりとも、来春から「ひとり暮らし」を始めるとのこと、新社会人として、また、
親元を離れて、文字通り、ひとり立ちする大切な年です。
入社前でも、判らないこと、困ったことがあったら、会社も、社員もフォローしますので、
相談してほしいと思います。

入社に向けて、事前の技術研修も始まりました。先輩社員に積極的に質問して、
コミュニケーションを取り、入社後の緊張を少しでも、なくしてほしいと思います。
来春は、元気に入社し、新しい風を吹き込んでくださることを期待します。

写真は、今年度入社の高市さんが担当しました。途中から懇親会にも
参加し、1年先輩としてお話しもしてもらいました。

2015年1月7日 ブログ担当Ⅱ

12月 19

最終回は、HIT技研のグループ会社に入社、当社の新入社員と一緒に研修を受けた、
株式会社アイネットワークの荒井洋介さんです。
新人研修は、社長が直接行うことがあります。札幌市内の銅像めぐり、美術館での鑑賞、
道庁や時計台の見学などです。今年は、初めて小樽に出かけて小樽の歴史を学ぶことに
なりました。ところが、当日アクシデントが発生、社長の体調不良で延期となりました。
ですが、後日、小樽出身の先輩社員に案内してもらい、小樽の研修に行ってきました。
そのときの研修内容を、荒井さんがレポートにまとめましたので紹介します。

荒井さんは、歴史が好きで、普段から趣味でお城めぐりなどをしているそうです。
今は、東京で暑い夏も乗り切り、元気に勤務しています。

ブログ担当Ⅱ

【小樽歴史見学】
・防波堤
日本初のコンクリート製の外洋防波堤と教えてもらいました。
フェリーで行く予定でしたが、その日は運行しておらず、急遽 北の防波堤まで
歩いて移動しました。おかげで、防波堤の上を歩く体験もできました。
・鰊御殿
ニシン漁の写真、道具が展示されていて、詳しい解説文が書かれていました。
展示場には、実際に猟師が歌った曲が流れており、漁の様子が想像できました。
また、解説には、「群来(くき)る」がニシンそのものを指す言葉ということを
知り、当時のニシンといえば、大量の群れであることが、よくわかりました。
真珠のネックレスが、展示されていたのですが、真珠ではなく、ニシンの
うろこから作られた装飾品でした。精巧に作られていいて、関心しました。
また、隠し部屋があり、どのような使われ方をしていたのかは、諸説あるそう
です。その説のなかで、「金庫」ではないかと、私は思いました。

・貴賓館(青山別邸)
装飾が施された食器や家具、様々な絵画や衣装などが展示されていました。
特に八仙人の絵が描かれた襖がある部屋では当時使われていた膳や火鉢が置かれ、
格調高い空間だなと思いました。
私たちは、別邸内のレストランで昼食を取りました。私は「にしん重」を注文し、
とてもおいしく頂きました。

・小樽市内
青山別邸を出た頃から雨が本格的に降り始め小樽駅周辺に戻るバスを途中で
降りてコンビニで傘を買いました。傘を買った場所から歩いて竜宮神社に
向かいました。神社では幼稚園の敷地内に榎本武揚の伝記が掲げてありました。
他にも麻生元総理大臣が植樹したオンコの木などがありました。
次に都通商店街に向かいました。都通を歩いていくと榎本武揚に
似せた人形が置いてあり、その人形をなでることで運が上がり、なでた部位に
よって上がる運が違うと書かれていました。
最後に都通りを抜けて旧日本銀行小樽支店に向かいました。日本銀行では
1900年代の小樽の人口や当時の物価についての説明が書かれていました。また、
北のウォール街のミニチュアが飾ってありました。奥に進んでいくと
金庫があり、その中には一億円分の重さがある箱が置かれており、その箱を
持つことで実際に一億円の重さを体験できるコーナーがありました。持って
みるととても重く片手ででは、とても無理でした。

●研修を終えて
今回は雨が降り、少々濡れてしまいましたが、日本初のコンクリート製の
外洋防波堤、鰊漁で使われてた鰊御殿、一流の職人の手で建築された青山別邸を
実際にその場を歩いて見て回ることで当時の歴史を肌で感じることができとても
楽しい研修でした。今まで小樽に来ることがあっても防波堤を誰が作ったのか等、
あまり歴史を気にすることがありませんでした。しかしこの研修で
小樽のことを知り、身近にあるものには多くの歴史があるのだなと感じました。
このような研修の機会を設けてくださってありがとうございました。
今回、感じ取ったことや学んだことを、忘れずにいたいと思います。

2014年6月9日  荒井 洋介