30周年記念行事 富士山周遊旅行第二班を振り返って 平成29年度 創立記念行事(パークゴルフ)
12月 01

~富士山から感動をもらう~

出発日七月九日(土)小雨のち晴れ。

羽田空港に着くと小雨が降っていた。急いでバスに乗り込むとガイドさんが「東京はあいにく梅雨なんですよ」と残念そうな口調で顔を顰めた。「北海道の我々には梅雨なんて関係ないですよ」と筆者は気を遣いソフトに答えたが、胸の裡は“雨が降ろうが風が吹こうがこの旅は続けるぜ!”と既に気分が盛り上がっていた。東名高速道路に入ると町田市周辺で凄まじい渋滞に見舞われ約一時間ほど“忍耐一筋”が続いたが漸く山中湖ICを通過する辺りからいよいよ“この旅”がはじまった。
IMG_0042最初の訪問地は富士山の裾野、湧水で名高い忍野八海(山梨県忍野村)である。大勢の観光客に混じって雨に煙る池を廻る、覗くと清く澄んだ深い水底に見事な錦鯉が泳いでいる、眼を見張りながら“山は富士なら、こころは錦!”と自分に言い聞かせ拳を握り締めた。鮮やかな色彩を放つ錦鯉は、富士山が下界に遣わした美麗な使者の如く、艶やかな姿で我々を迎えてくれたお陰で“この旅”は上場のスタートを切ることが出来た。火山活動により山麓に溜まった伏流水が長い歳月を経て湧水池に変貌、その後、富士山信仰で修験者が行う水行の霊場だったことから霊水と呼ばれ、様々な伝説を伝える池や自然保護の視点から水質や水量、景観を誇る池など、この辺り八箇所に点在し平成二十五年に世界文化遺産に指定された。古びた茶店を覗くと我が班の面々がニコニコ顔で“田舎蕎麦”を食べていた。この頃、漸く小雨が上がり空気が澄んで周囲に薄っすらと陽が射しはじめた。バスへ戻る途中、農家の庭先で満開に咲く“あじさい”の花が放つ深い“蒼”に思わず見惚れてしまった。清清しい“蒼”も富士山の使者かも知れなかった。
次に訪れた北口本宮富士浅間神社はIMG_0081鬱蒼とした森の中、幅広い参道を登ると樹齢数百年を越える御神木に守られた社殿が祭られ、その剛健さは戦国時代の武将・武田信玄公の姿と重なった。天下を目指した武将の厚い信仰心が境内の隅々まで染み渡り「天を畏れよ!」との啓示に触れたような錯覚に襲われ、勇壮な佇まいに言葉を失った。ふと、脳裏に「風林火山」の旗が翻える、富士山麓を背景にこの重厚な神殿が「国取り物語」の守護神であっても何ら不思議ではない・・戦国時代が生々しく蘇る不思議な空間、この神妙な沈黙が気ぜわしい日本人の魂を鎮めるようにも思え、振り返ると太い樹木(杉)が参道の両脇を固め、そのひとつひとつに神霊が宿り参拝者を奥の神殿へと導いている。やはり富士山は単に大自然の雄大さや美しい景観を誇るばかりではなく、古来、日本人の精神的支柱であり続けていることを証明しているのであった。
宿泊ホテルは河口湖温泉郷にある老舗旅館、久しぶりに大勢で頂く夕食は和気藹々、愉快な会話も富士山からの“贈りもの”であろう。酔いにまかせ、明日はどんな富士山に会えるのか?それを楽しみに温泉に浸るとスキッと元気が舞い戻って来た。

翌日7月10日(日)快晴。
朝風呂を浴びに行く途中、旅館の店員さんへ「お風呂から富士山は見えますか?」と尋ねると「遊歩道を3キロほど行くと富士サンに会えます」と爽やかな声が返って来た。単純に“山”が“サン”に聞えたに過ぎないが、地元では日本一の山を“サン付け”で呼ぶ隣人の如き身近な存在だと直感、更に彼女は、「湖畔は観光客で賑わうから恥かしがり屋の富士サンは山陰に隠れていますよ」と笑顔を浮かべた。筆者の想像は当たった様子、まるで“富士サン”という隣人が河口湖畔に住んでいるみたいに聞えて微笑ましかった。このユーモア溢れる彼女の明朗さこそが日本一の山を“愛でる心”を伝えている。
IMG_0206快晴のもと、河口湖に浮ぶカヌーを眺めながらバスは富士スバルラインを走り抜けて富士山五合目に到着、いよいよ“日本一”に会えると思うと胸が弾んだ。山岳地帯であれば人影は少ないと予想していたが、意外なことに売店がズラリと並び観光客やら登山客で賑わっていた。ところが、展望台に登ると風景は一変して目の前に赤い岩肌をむき出しにした仁王立ちの富士山が現われた。下界の賑わいを余所に天空の一画を陣取るといった悠々たる風貌でどっしりと腰を下している。旅行者を涼しげな様子で見下ろすこの相手に“漸く会えましたね”と囁きわざと親しみを込めて敬礼すると、派手なリアクションはないものの我々を歓迎するかのように突き抜けた青空がどこまでも澄み渡っていた。・・ああ、これが富士山の“こころ”の裡だ・・と感じ入った。もちろん、“登山”も楽しいであろう、しなしながら近くで見る富士山も一段と力強く凛々しい上に勇気を与え、頼もしい魅力に満ちている、一瞬、冷たい風が筆者に体当たりを食らわし「この絶景を忘れるなよ!」と言わんばかりに素早く通り過ぎて行った。どうやら、この風も富士山が放った爽やかな使者らしい。真夏でも涼しい富士山はストイックで少し不器用なスポーツマンタイプかも知れない。
店頭でソフトクリームを食べていると傍で“そろそろ出発するよ!”との声が聞こえ、リュックサックを背負った数人が登山口へと歩き出した、その先に数頭の馬が柵に繋がれ藁を食んでいる。この馬たちは観光客を乗せて見晴台まで登って来るのだと“山男”が教えてくれた。見晴台まで登りたいと願いながら柵に近づくと、眼が合った小柄な馬がひどく痩せているので気の毒になり止む無く諦めることにした。すると、傍にいた飼い主が「この馬、身体は小さいけれど一番元気ですよ」と声を掛けて来た。「北海道にも道産子という農耕馬がいますよ」と相槌を打ち、続けて「同じ小柄な体格ですが、力持ちで働き者です」と付け加えると飼い主が満足そうに頷いた。この痩せた馬が他のどの馬よりも一番の稼ぎ頭だから“可愛いくて仕方がない”と日焼けしたその顔がつぶさに伝えていた。“道産子”も北海道一番の稼ぎ手だった・・と昔を思い浮かべるとこの男性に妙な親しさを憶えた。
“登山”のことを尋ねると高山病対策の話題で盛り上がった。彼の話によると、ちょうど今頃(正午)にこの五合目を出発すると夕方五時ごろには八号目の山小屋に到着、その場で翌日午前一時ごろまでゆっくり休息を採って気圧に慣れ、体調を整えてから約四時間ほど登れば頂上、幸運に恵まれたらご利益ある“ご来光”を拝めることが出来るとのこと。筆者は北海道の山岳で一度“ご来光”を友人と一緒に見たことがあるが、あの時の感激は今も忘れることが出来ない。富士山の“ご来光”とあらば将に日本一の光明、この厳かな美景はめったに見ることが出来ない。我が登山組がこの絶景に遭遇すれば誰もが体験したことのない感動に浸ることが出来るであろう・・数日後、この五合目を通り山頂に向かう勇ましい彼等の姿を思い浮かべると羨ましかった。展望台に戻ると同乗者たちが待っていた。相変わらず飄々として赤肌を晒す険しい御姿、しかし、その頂上にはぽっかりと白い雲が浮び、ひとつのメルヘンを物語っている。“さあ~記念写真を撮ろう!”との声が掛かり、富士山を景にT君がシャッターを切った。そして、敬愛する仁王様に脱帽して別れを告げた、だが、この直後、忘れられない光景に出会うなどとは想像も付かなかった。
五合目から山梨市へと山道を下る途中、バスの車窓から垣間見た優美な富士山、盆地を囲む甲斐の山々、その遥か向こうから山梨市を見守るように堂々と聳える姿が目に飛び込んで来た。先刻見た仁王様とは別人の如く翼を大きく広げた白鳥みたい、あるいは絹のドレスを纏った貴婦人のように、真夏の陽を浴び科を作って立っている。“ほら!綺麗・・”誰かが叫ぶと運転手さんがゆっくりとバスを止めた。私たちは一斉にシャッターを切りながら華麗な姿に見惚れ溜息ばかり着いていた。その雄姿は広重の浮世絵や大観の絵画とは比べものにならないほど優雅で清楚な富士山、山梨県はこの慈愛に満ちた風景のお陰で人々が潤っている・・そう思わざるを得なかった。ところが次の行き先では、この美景とはまったく趣向の異なる荘厳な光景に遭遇することになった。“この旅”はまるで走馬灯の如く場面が入れ替わり、お祭りの如く我々を夢の世界へと誘った。
CIMG1122秩父多摩甲斐国立公園の昇仙峡、主峰は覚円峰、むかし“覚円”と名乗る僧侶が畳数枚ばかりの狭い頂上で修行をしたとの伝えが残る霊峰を遠くに眺め、幾重にも連なる険しい絶壁に囲まれた遊歩道を黙々と歩く。すると、激しく波立つ渓流の中から突然に巨大な岩石が現れ、「お前らは何しにここへ来た!」と厳しく尋問されるような恐怖に襲われた。音声と言えば、渓流のせせらぎと小鳥のさえずりぐらいだが、この非日常的な静寂が在らぬ幻想を呼び起こすらしい・・かぶと岩、よろい岩、えぼし岩、羅漢寺と続く岩壁に差し掛かると、物陰からカサカサと鎧が摺れる音と共に落ち武者がささやく不気味な声が聞こえ、監視されているような怪しい気配に執りつかれその場で竦んでしまった。人を寄せ着けない秘境、この渓谷で起る様々な摩訶不思議は古代より現代に至るまで延々と息付いているに違いなく、これも富士山麓の魅力のひとつであるかも知れない。
IMG_0425宿泊のホテルは山梨市内、街外れの石和温泉郷にあった。玄関先には石の彫刻が置かれ、木魚に寄り添って眠る可愛い小坊主が我々を迎えてくれた。広いロビーの床は“池作り”の細工が施され、渡り廊下から水面を覗くと大きな錦鯉が泳いでいた。この池も富士山の湧水か・・もしかすると、錦鯉は忍野八海育ちかも知れない・・風流な温泉や店内に飾られたお土産品など、どれもこれもが富士山からの“贈りもの”のように見えた。夕食を兼ねた宴会は富士山への感謝を込め、“この旅”の終わりを惜しんで賑々しくカラオケで幕を開けた。旅の疲れだろうか、寝床に付くと早々に睡魔が襲って来た。

そして、最終日七月十一日(月、快晴)を迎えた。
最終日、“旅の疲れを癒そう”との幹事諸君の計らいにより山梨市内で“桃狩り”(豊玉園)を楽しんだ。甲府は葡萄、桃、サクランボウなど果実の宝庫、これも富士山からの“贈りもの”だろう。果樹園の主人が長年に渡りわが子のように育てた桃の木が行儀よく並んでいる、天空が晴れ渡る盛夏を待って、見事に実った赤い実を園主がその手でそっと捥ぎ取り、富士山に一礼してから薫り高い風味を瑞々しく味わう、それがこの土地の風情であろう、広々とした穏かな風景の全てに富士山の恩恵が行き届いていた。入り口に掲げた「地方発送、受け賜ります」の看板に目が留まり、“富士山からのプレゼントです”と伝言を添え、帰りを待つ家族に大きな桃六個を箱に詰めて宅急便で送ると、長閑な気分に包まれた。
IMG_0483羽田空港に着くと出発時間までに少し余裕があったのでKさんに奨められて“足のマッサージ”を試してみた。身体を解しながら旅で出会った様々な“富士山”のことを考えた・・湧水池に泳ぐ鮮やかな錦鯉、豪壮な社殿を祭る武将の信仰心、荒々しくて尚も険しく、時には優雅で華麗に化身する貴婦人、“恥かしがりやの富士サン”と呼ばれる住人、神秘と伝説を語り続ける謎の落人、また、房々した葡萄と芳醇なワイン、甘く熟れた桃やサクランボウ、手作り地ビールにお洒落な信玄餅、温泉や湖沼など甲府に宿る自然の恵みをも考え合わせると富士山は様々な顔を持ち、日本人の“こころ”の中に生きる「伝統」と呼ばれる一本の糸を操り様々な絵模様を編み込んでいた。
如何なる相手や如何なる状況に対しても慈愛を持ち続け柔軟に対応する富士山、これを図形に例えようとすると、真正面から見える“円”や“正方形”の如き単純さではない、さりとて“三角形”の鋭さや“多角形”の刺々しさみたいな“こだわり”もない。ただ、真正面から見れば確かに一面の形体であるが、斜めから覗いても同じ面に見える・・そして、じっと眺めるうちにこの形状の奥に広がる“多面体”が見え、やがてそれは“球体”として目の前に出現する。富士山を通して「日本の伝統」を問えば、“多面”を有する“球体”であるのかも知れない。この“多面体”が放つ一筋の“光明”が人々を救う希望の証であろう。
短い“旅”ではあった・・だが、様々な“かたち”を為した富士山に接し熱い感激に震えたこの自分を忘れることはない。一方、“登山”を目指し、幸運にも“ご来光”を拝めることが出来た同胞たちは、全く異なる次元の感動に包まれたであろう。このように参加者全員が共に過した至福のひと時こそ、将に富士山から頂いた“贈りもの”であり、改めて“この旅”の深い意義を考えざるを得ない。
富士山は何時の時代も日本人の原風景をその巨体にしっかりと刻み、決して“日本の伝統美”を損なうことのない普遍性を有しているところが偉大である。また、この果てしない包容力とは別に、時には荒々しく、時には厳しく愚者を諫め続け、如何なる時でも希望を与える素直な姿を我々の目前に晒してくれる、将に「日本の品格」を象徴する伝道者と言わねばならない。我々は“この旅”に参加することで日常の自分から少し距離を置き、勇壮な富士山と向き合うことで新たな自分を発見した者は筆者ばかりではないであろう。“周遊”や“登山”を通して自分の中で何か手ごたえを掴み、こころから感動した大勢の同胞たち、これを思うと誠に設立三十周年記念事業に相応しい“この旅”であった。それぞれの体験が明日への英気に繋がる糧になったことを願って止まない。(終)

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